2012年1月20日金曜日

雪のご臨終

聞書3 山中貞雄のこと(アゴとの出逢い)
雪のご臨終

昭和三年暮れ
奈良油坂 市川市丸プロダクションが夜逃げした後に入る
電気代払わずに逃げたので 撮影出来無い
因って オールロケ 昼間しか撮影出来無かった
明け方顔造って衣装着て 公園に出掛ける
日が昇るとキャメラを回す サッと撮って帰る
七時に公園の巡視が来る 見つかると使用料十圓取られる

猿沢の池の近くの旅館 朝日館に宿賃を払わ無い為
衣装・撮影器材総て押さえられる
警察立会いで解除して貰って フィルム一巻だけ持ってロケへ
フィルムが無くなったら京都丸太町大沢商会へ行って一巻だけ買って来る
収入が無いからスタッフが 大阪へブロマイドを売りに行く
奈良ではカツドウ乞食で有名だった
ブロマイドを売った金で米と肉を買い 旅館の炭を盗んで
肉と米のごった煮を皆で分け合って食べる
煙草は旅館の灰皿からモク拾い
カツドウ創りたい一心だった

そんなこんなで朝掛けで撮った 安永巷談・黄総の十手
完成しても配給先が無い 遂に御臨終

四十人居た従業員が十七人に成った
朝日館からも追い出された
在る物総て質屋に入れて 電車賃を出して 解散

弟子の青山正雄 嵐寿之助が最期迄従いて来た
袷に縄帯 此方は羽織無し 小雪の振る夜

寛寿郎)さむいなぁ ジノやん
寿之助)へぇ よぉ冷えまんなぁ
寛寿郎)此れも成り行きや

駅前でウロン(饂飩)食て 青山と別れて一人で夜汽車で東京へ
叔父徳三郎に詫び入れて 東京浅草宮戸座の舞台へ

最期の十七人の中に マキノから来た アゴの長い助監督 山中貞雄が居た
マキノプロダクションの省三の息子 マキノ雅弘が送り込んで来た
マキノでは目が出無いので 其方で使ってみてくれ
マキノには優秀な監督が沢山居て才能が伸ばせ無い
寛プロの方がやり易いと考えた

金も貰って無いのにロケの時 山中は何時も先頭でライトを担いで行った
炭を盗むのもモク拾いするのも山中
鬼神の血煙 映画化された 山中の処女脚本作品 
本所錦糸堀悪たれ御家人 此村大吉(寛寿郎)なる ごろん棒侍 退屈の虫を持て余して 当時江戸八百八町に横車を押し通す 旗本鬼木組に宣戦布告 首領松平帯刀邸に問答無用と切り込んだ! と作品紹介に在る

処が解散 山中貞雄は暮れの十二月二十六日京都の実家に戻る
貞雄の兄は 人間とは思えぬ形相で 散髪して風呂入ってから家に上がれ と云いたい程汚かったと回想して居る
映画界に入るのを反対して居た 親戚一同から 其れ見た事か と

しかし第二次寛プロを立ち上げた時 一番に駆け付けたのは 山中貞雄だった



市川市丸は名古屋出身 18歳で日活大将軍撮影所に入社 20歳で独立 日本映画プロダクションを奈良に設立 解散後東京河合映画社入社

猿沢の池は奈良市の奈良公園にある周囲360メートルの池
奈良八景のひとつ

此の頃 寛寿郎の才能を惜しんだマキノ省三は 復帰を呼び掛けて居たが実現し無かった






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